松下幸之助「自分を信じ、人を信じる」――パナソニックの歴史ものがたり Episode 07

2026年3月6日

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歴史ものがたり

松下幸之助「自分を信じ、人を信じる」――パナソニックの歴史ものがたり Episode 07

歴史資料にまつわる創業者・松下幸之助のエピソードを紹介する「歴史ものがたり」。

今回は、パナソニックの原点である「松下電気器具製作所」の創業時代を紹介します。

後列左から創業当時の幸之助、井植歳男(妻・むめのの弟)、むめの(前列3人はその姉妹)

後列左から創業当時の幸之助、井植歳男(妻・むめのの弟)、むめの(前列3人はその姉妹)

創業の火をともす

1918年3月7日、23歳の幸之助は、22歳の妻・むめの、その弟・15歳の井植歳男(※1)と共に、松下電気器具製作所を設立しました。大阪電灯(※2)を退職し、電灯用ソケットを開発して独立したものの、販売が振るわず、質屋に通うほどの資金難を乗り越えての創業でした。

※1:後の三洋電機創業者。
※2:関西電力の前身の一つ。

創業の地は大阪市・大開(おおひらき)町。幸之助は借家の1階を工場にし、事業を開始しました。

松下電器としての第一歩を踏み出した「創業の家」。現在の大開2丁目に位置した。1階部分が松下幸之助歴史館に復元展示されている

松下電器としての第一歩を踏み出した「創業の家」。現在の大開2丁目に位置した。1階部分が松下幸之助歴史館に復元展示されている

事業者向けから一般消費者向けへと事業の軸足を移し、新たな配線器具の開発に乗り出した幸之助は、「アタッチメントプラグ(通称:アタチン)」の改良に挑みます。

当時、家庭の電気事情といえば、天井からぶら下がった電灯用ソケットが一つか二つある程度。一家の電源でもあり、電気製品を使う際は、電源コードにこのアタッチメントプラグを取り付け、それをソケットにねじ込んで電気を取っていました。

改良アタッチメントプラグ(右)を取り付けた電源コードを、ソケットにねじ込んで電気を取る(左)

改良アタッチメントプラグ(右)を取り付けた電源コードを、ソケットにねじ込んで電気を取る(左)

大阪電灯での勤務経験から、幸之助は「手頃な値段で品質の良い配線器具を作れば、必ず売れる。需要は限りなく増える」と確信していました。「これからは電気の時代だ。電気が人々の生活を変えていく。この事業は必ず成功する」と、心の底から信じていたのです

課題は、ソケットにねじ込む金属部分の加工精度でした。幸之助は試行錯誤を重ね、やがて「古電球の口金を再利用する」というアイデアにたどり着きます。

電球の口金はソケットに密着するよう精密に作られており、しかも廃棄物を再利用するため安価。これが切り札となり、品質に優れ、かつ他より3割も安い革新的な改良アタッチメントプラグ(※3)が誕生しました。これが、パナソニックの商品第一号です

※3:現在も基本構造を変えずに製造され、祭りの屋台や漁船の照明などに使われている。

信じて、任せる

松下電器は新しいものを安く作ると評判になり、改良アタッチメントプラグには注文が相次ぎます

3人だけでは手が回らなくなり、工員を募集したところ、最初に訪ねてきたのは一人の婦人でした。妊娠中でしたが、楽な作業で自宅も近かったため、早速迎えることにします。いわば、初めてのパナソニックの従業員です

驚いたことに、その方の名字は商売繁盛の「繁盛」というのでした。「大きく開くと書く大開町で創業したら、繁盛さんが来てくれた。赤ちゃんが生まれたら、“繁盛”が倍になる。こんな縁起のいいことはない」と、幸之助は大層喜んだといいます。

創業から8年がたち、31歳になった幸之助

創業から8年がたち、31歳になった幸之助

事業は軌道に乗り始め、幸之助はさらに3、4人の工員を雇います。

当時、材料に使う練り物の原料や製法は、“企業秘密”として、身内以外には明かさないのが一般的でした。しかし、幸之助は雇ったばかりの工員にも惜しみなく教えます。「それは危険だ。技術を持ち出されたり、独立されたりしたら、損するぞ」と忠告する同業者に対し、こう答えたといいます。

人間というものは、信じて任せれば、むやみに裏切るものではない。そんなことにとらわれ、いじましい経営をしていると、事業は伸びず、人も育たない

揺るぎない人づくりの信念、肯定的な人間観が、幸之助の根底には常にあったのです。

「電化生活」を切り開く

1920年代に発売された製品。手前左から砲弾型ランプ、角型ランプ、二股ソケット、スーパーアイロン、電気コタツ(中央奥)。幸之助は常に「どうすれば人々に喜ばれるか」を考えた。発明・考案数は1917年からの34年間で100件(特許8件、実用新案92件)に上る

1920年代に発売された製品。手前左から砲弾型ランプ、角型ランプ、二股ソケット、スーパーアイロン、電気コタツ(中央奥)。幸之助は常に「どうすれば人々に喜ばれるか」を考えた。発明・考案数は1917年からの34年間で100件(特許8件、実用新案92件)に上る

1918年の改良アタッチメントプラグに続き、1920年には二灯用クラスター(通称:二股ソケット)が誕生(※4)。その後も、1923年の砲弾型ランプ、1927年のスーパーアイロン角型ランプ、1929年の電気コタツ(※5)というように、革新的な製品が次々と世に送り出されます。これらの製品は一般家庭の「電化生活」に大きく貢献し、松下電器の礎を築きました

大開町で15年間を過ごし、1933年に門真へ本拠を移した後も、この地に本籍を置き続けた幸之助。パナソニックの歴史は、ここから始まったのです。

※4:一つの電灯用ソケットを二股に分岐し、電球を点灯させたまま、アイロンや電気コタツなどを使用できるようにした配線器具。
※5:布団の中で快適に使えるようにと、滑りのいい丸みのある形にこだわり、木製たる型のビール貯蔵容器の加工技術を応用した。

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