
2025年12月25日
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歴史資料にまつわる創業者・松下幸之助のエピソードを紹介する「歴史ものがたり」。
今回は、幸之助が繰り返し説いた「新規開業の心構え」を紹介します。
1982年5月5日の第51回創業記念式典で、松下電器の真の使命を説いた幸之助の言葉「所主告辞」を朗読する社長の山下俊彦(当時)。
1982年5月5日、第51回創業記念日を迎えた松下電器(現在のパナソニック ホールディングス)は、「創業命知第三節(※1)」への新たな一歩を踏み出しました。
第二次オイルショック(※2)による物価の高騰や、家電の普及に伴う消費者ニーズの変化により、成長の勢いに陰りが見え始めていた時期でした。低迷期の長期化を危惧した社長の山下俊彦(当時)は、6月に緊急会議を開き、関係会社と事業部の責任者を招集。「経営幹部に甘さがある」と厳しく指摘し、「このままでは松下電器は没落しかねない」と警鐘を鳴らしました。
※1:幸之助は1932年5月5日、大阪の中央電気倶楽部で第1回創業記念式を開催し、「生産に次ぐ生産で物資を無尽蔵にし、楽土を築く」と宣言。真の使命を知ったこの年を「創業命知元年」とし、5月5日を創業記念日に定めた。また、使命の達成に250年(25年×10節)をかける壮大な構想を発表。1982年は第三節が始まる節目の年となった。
※2:1979年のイラン革命とその後の中東情勢不安により原油供給が減少し、国際的に原油価格が急騰した出来事。
こうした状況に幸之助も危機感を募らせ、10月には「松下電器は、もういっぺん一から出直さなければならない。世間的な地位や評価はいったん忘れ、もういっぺん新規開業した会社として、小売り屋さんを一軒一軒回るところから始めなければならない。いっぺん、はだしになる。靴をはいていたら駄目だという姿勢で臨んでほしい。“われわれは、貧乏会社の会長であり、社長であり、社員である。その会社を立て直すんだ”という姿勢に徹してもらいたい」と、経営幹部の自覚と奮起を促しました。
また、「製品から販売、宣伝に至るまで、次々と新しいものが生まれ、“さすがは松下電器”と思っていただけるほど、十分な満足を提供できているか、全ての面で先頭に立てているか。一人ひとりが100点を目指し、たとえそれができなくても、常にその姿勢を保たなければならない」と鼓舞。
さらに、「私も幸いまだ元気だし、次の25年間は、これまで以上に力強い仕事ができると感じている。仕事は無限にある。過去のように率先垂範できなくても、たとえ声が出なくなっても、手まねで意思を伝えられる」と語り、87歳にしてなお、自らも第三節に臨む覚悟と情熱を示したのです。
第1回創業記念式典で幸之助(当時37歳)は所主告辞を朗読。感銘を受けた参加者は壇上で次々と決意を述べ、会場は熱気に包まれた。告辞には「生活必需品を充実させ、人々のくらしの質を高めることが私の願い」と記されており、松下電器の原点が示されている。
翌年1月には、経営スローガン「商品を鍛える」を発表。性能・品質・コストなど、あらゆる面で世界一の満足を提供する商品づくりを目指し、松下電器の原点に立ち返ったと言えるでしょう。4月に発売した全自動洗濯機「愛妻号」の新製品(※3)は、前年比150%の伸びを示し、市場シェアの首位を奪還。成長の勢いを取り戻す原動力となったのは、幸之助が掲げた「はだしになる覚悟で挑む」姿勢でした。
※3:他社と比べて圧倒的な優位性を持ち、経営への貢献度が高い商品を全社一丸となって創出する「A-TOP商品制度」の第1号商品として誕生。両立が困難とされていた「洗浄力の向上」と「布の絡み・傷みの軽減」を世界初の洗浄方式で同時に解決し、高い評価を得た。
愛妻号を幸之助に説明する孫の松下正幸。当時、洗濯機事業部の事業部長を務めていた。
新規開業の心構えを説いた幸之助。実はこの時が初めてではなく、また、最後でもありませんでした。
1951年1月の年頭には、戦後6度目の正月を迎え、「この5年余りは、いばらの道だった。もう駄目だと思うことさえあった」と振り返りながら、「旧弊を脱ぎ捨て、松下電器は今日から再び開業する」と宣言。初心を忘れずに第二の創業に取り組む決意を示し、「新規開業は松下電器の伝統精神“日に新た”に通じる」と強調しました。
1971年1月の経営方針発表会では、消費者団体による買い控え運動(※4)という非常事態を踏まえ、「社会からの叱咤激励のムチに感謝し、反省に徹するとともに、家電の先発メーカーという認識を改め、最後発のメーカーとして再出発しなければならない。松下電器は今日をもって新規開業した会社である」との認識を示しました。
1987年1月の経営方針発表会では、円高や貿易摩擦などのかつてない難局に直面し、11年ぶりの減収減益となった状況を踏まえ、「原点に立ち返り、一人ひとりが新規開業の心構えで職務を全うしてほしい。一緒に頑張ろう」と呼びかけ、自らも後方支援を約束。壇上で熱い思いを語ったのは、92歳のこの時が最後となりました。
幸之助は、経営に大きな影響を及ぼす環境変化のたびに新規開業の心構えを説き、全身全霊で改革に取り組むことで、パナソニックの発展を導いてきたのです。
※4:主にカラーテレビの二重価格問題に対し、消費者団体が主導して行われた不買運動のこと。
記事の内容は発表時のものです。
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