2018年(平成30年)、パナソニックは創業100周年を迎えた。100年前の1918年(大正7年)、創業者・松下幸之助は「アタッチメントプラグ」を世に送り出す。1920年(大正9年)には、「2灯用クラスタ」を製品化。配線器具はパナソニックのルーツでもあり、現在も国内で高いシェアを誇るなど事業軸のひとつとして大きな位置を占めている。快適なくらしを安全にお届けし続け、社会の発展を支えてきたパナソニックの配線器具事業のあゆみとこれからを紹介する。
壁コンセントがない時代の苦心作~アタッチメントプラグと2灯用クラスタ
創業者・松下幸之助は連日連夜改良を重ねた
1918年(大正7年)当時、日本住宅にはコンセントがなく、電源は電灯ソケットから取っていた。夜は電灯ソケットを使い電気をともすため、他の電化製品を同時に使うことは難しかった。「アタッチメントプラグ」は電化製品のコードを電灯ソケットにつなぐための接続器具で、創業者(当時23歳)は使用済み電球の口金を再利用するなどのコストダウンを実現し、従来製品に比べて品質が良く価格も3~5割ほど安い「アタッチメントプラグ」を発売し、好評を得た。
それが進化した「2灯用クラスタ」は、ひとつの電灯ソケットから2系統の電源をとることができるアイデア商品で、部屋のあかりをつけたまま電気アイロンやこたつが使える便利さで評判となった。これら2つの配線器具により、当社は成長に向けての地盤を固めた。
当初3人で始めた小さな会社は、創業年の1918年(大正7年)末には、従業員20人を数えるまでに成長。パナソニックの創業製品とも言えるこの「アタッチメントプラグ」は、現在も基本構造を変えずに年間約10万個が製造・販売され、お祭りなどの出店や漁船の照明などにも使用されている。
時代とともに進化した「配線器具」
人々のくらしに寄り添う安全・高品質な製品づくり
戦後の復興にめどがついた1955年(昭和30年)ごろから、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」に代表される電化製品が急速に普及した。当社は世の中の発展に伴い、施工性が高く安全で使いやすい製品を世に送り出した。
一般的な日本家庭の配線器具の移り変わり
ここで紹介するのは、三重県津市にあるパナソニック エコソリューションズ社「津工場」にある「配線器具記念館」の展示エリアの一画。日本の住まいにおける配線器具や工事方法のあゆみを当社創業の時代から現代まで追っている。
1912年~1920年代(大正~昭和前半) 「電灯器具時代」
1912年ごろ(大正時代)から配線器具の国産化がはじまり、一般家庭では電灯が徐々に普及し始めた。当時はスイッチやコンセントの取り付け工事は少なく、電灯用電源の配線は露出した状態で壁に据え付けられていた。電灯以外の電化製品を使用する際は「アタッチメントプラグ」や「2灯用クラスタ」が必需品だった。
1945年以降(昭和20年代) 「第1次電化ブーム時代」
急増する電化製品に対し配線設備が追い付かず、定格容量をはるかに超えた「タコ足配線」が横行。全国各地で電気事故が発生したため、電力会社、配線器具工業界、配線器具メーカーの3業界が一体となり「適正配線運動」を展開した。
1958年(昭和33年)、当社はスイッチやコンセントを一つのボックスに3個まで取り付けできる埋込連用器具を開発し、配線工事は露出から壁埋め込みタイプへと進化した。
1965年以降(昭和40年代) 「第2次電化ブーム時代」
このころ、家庭に送られる電源回路が10Aから15Aへと高容量化した。また、コンセントの安全性向上を図るため、電線を差し込むだけで簡単に結線できる「フル端子」を開発するとともに、配線器具を大形化することで施工を簡易にした。当社独自のフルカラーモジュール(配線器具)がJIS規格化され業界の発展にも貢献した。
1966年(昭和41年)、「電気の1・2・3運動」として「一部屋に二つのあかり、3つのコンセント」の生活提案型キャンペーンを展開。1975年以降(昭和50年代)、パナソニックは室内装飾に調和したデザインの多様化や消灯時に小さなランプが点灯しスイッチの位置を知らせる「ほたるスイッチ」、タイマ付スイッチなどの高機能スイッチを充実させた。
1985年以降(昭和の終わり~平成時代) 「情報化到来の時代」
1985年(昭和60年)、当社はワンプッシュで確実に反応する優れた操作性とすっきりしたデザインを両立(コスモシリーズ)。1997年(平成9年)、インターネットの普及に伴い情報系の配線としてあらかじめ先行工事する「マルチメディア対応配線システム」を開発した。また、センサやタイマなどの先進機能を搭載した高機能配線器具シリーズを充実することで、さまざまな生活スタイルにあわせた配線器具を提供している。
最近では液晶画面で点灯・消灯や調光できるスイッチを製品化し、スマートフォン・タブレットからの操作(在宅時のみ)もできるようになった。また、住まいのエネルギーを見える化するため、住宅設備や空調環境機器を制御するエネルギーマネジメントシステム「スマートHEMS」とも連携し、あかりの節電コントロールを可能にした。さらには、建築デザイナーからの要望にも応えたレトロ感ある製品なども加え、パナソニックの配線器具ラインナップは多彩に展開し続けている。
世界に拡がるパナソニックの配線器具
グローバル規模の"地産地消"と"全体最適"を
1980年代(昭和55年~昭和64年/平成元年)まで輸出中心だった配線器具。1990年代(平成2年~平成11年)には各国・地域に販社を設立することで、パナソニックは中国やアジア向け製品の開発・製造に取り組んできた。2000年(平成12年)以降、グローバル化を急速に推進し、現在、9カ国11拠点で製造、アジアを中心に世界60カ国以上で販売している。世界シェアでは第2位、アジア市場ではシェアNo.1だ(※当社調べによる)。
各国におけるものづくりの事情はさまざまで、規格の違いはもちろん、機能・デザインも多種多様。配線器具事業は、その国に暮らす人々の好みや使用環境を反映し、それぞれの国や地域ごとに作り・使われる"地産地消"を基本にしながら一部の部品は他国へ輸出するなどの全体最適を図ってきた。
中国では、配線器具のトレンドも激しく変化している。世界初となる全面PUSH方式の「格彩シリーズ」では中国の生活文化に自然と溶け込む造形を実現し、グッドデザイン賞(2016年度)やiFデザイン賞(2017年度)を受賞。中東では、派手なデザインが好まれる傾向にあり、金色のスイッチプレートなどが人気だ。また、トルコでは、周辺各国へも商品を展開し、高級路線にも幅広い品揃えをしている。
ますます拡がる「配線器具」の未来
スイッチの役割から、家ごとつながる先進機器へ
100年前に「アタッチメントプラグ」からスタートしたパナソニックの配線器具事業。くらしの進化に応じて、スイッチ、コンセントのほか、分電盤やチャイム、スイッチボックスなどを次々と生み出し、安心・安全に電気を活用する豊かな住まいの在り方を提案してきた。パナソニックは配線器具、照明制御、電路機器、警報器や防災システム、配管機材などの分野で技術開発を続け、エネルギーマネジメント、家全体の創エネ・蓄エネ・省エネを支える製品を創り出し、配線機器を軸にして事業を拡大している。
コラム:世界のマザー工場
パナソニック エコソリューションズ社の「津工場(三重県津市)」は、創業製品の直系とも言える配線器具の製造を行う(従業員数:約1,000人、製造数:8,500万個/年、24時間体制)。製品設計、部品づくり、組立まで一貫して高品質を確保し、環境に配慮したものづくりを徹底、工場内物流の自動化も実現している。
また「津工場」は、海外製造拠点での配線器具の生産を支援するためマザー工場としての役割も担う。工場からは技術者が定期的に現地に赴き、現地での製造において要求される技能や考え方の指導を行っている。
「津工場」のものづくり思想
- 「五設一体思想」
初期段階から各部門が同時に商品開発を始めることで、スピーディーで合理的なものづくりを実現するというパナソニック独自の考え方。- 「一貫内製化」
金型、部品づくり、組立まで工場内で一貫して行うことで高品質を確保する。