開催まであと約1年に迫った東京2020オリンピック・パラリンピック。2019年7月24日、1年前記念として「東京2020オリンピック1年前セレモニー」が開催された。オープニングで観衆の度肝を抜いたのが、パナソニックの高輝度プロジェクターを用いた高速追従プロジェクションマッピング技術による演出だ。"スポーツとテクノロジーの融合"、その可能性を見せてくれたイノベーティブな取り組みを探る。
セレモニーの舞台で魅せた圧巻の演出
東京2020オリンピックまでいよいよあと1年に迫った2019年7月24日、「東京2020オリンピック1 年前セレモニー」が華々しく開かれた。
会場は熱気に満ちていた。東京国際フォーラムのホールAは約4000人の関係者・招待客で埋め尽くされ、今か今かと開演を待ちわびていた。ステージ前列に座った中高生が記念撮影し、はしゃぐ姿も見られる。次代を担う彼ら・彼女らにとって、東京2020オリンピックは最も多感な時期に体験できる一大イベントなのだ。盛り上がらないわけがない。
一転、ステージが暗転すると会場は緊張感に包まれた。観衆が固唾を飲んで見守る中、アーティストの吉田兄弟による津軽三味線の演奏で幕が切って落とされた。演奏が終わると吉田兄弟が左右にはけ、中央のメッシュスクリーンが浮かび上がる。そして――。
メッシュスクリーンの後ろで、しなやかな妖精のごとく、新体操の坪井保菜美選手が吉田兄弟の演奏とクロスしながら踊り始めた。右手に持った彼女のスティックの先端は命を宿したかのように輝き、激しい動きにあわせて縦横無尽に駆け巡る。ダンスと融合するのはプロジェクションマッピング。"和"を意識したダイナミックな映像は非常に高精細で立体感があり、まるで画面の中から坪井選手が飛び出してくるようにも見える。見たこともないパフォーマンスに圧倒され、会場の視線はステージに釘付けとなった。終演後の大きな拍手が、観衆の驚きと興奮を物語っていた。
坪井選手が見事に"映像にあわせて踊りきった"――これまでの常識からそう思った人は多いだろう。実はその逆で、坪井選手の動きにあわせて超高速に映像が追従しているのだ。開発したのは、東京2020オリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナーであるパナソニック。高速追従プロジェクションマッピングは、いかにして生まれ、進化してきたのか。その背景を探った。
テクノロジーにはスポーツを変える力がある
パナソニックが高輝度プロジェクターを用いた高速追従プロジェクションマッピング技術を披露したのは今回が初めてではない。オリンピック関連に限れば、2019年3月に開催された東京2020オリンピック・パラリンピックの500日前イベント「TOKYO VISION ~500 Days to Go! Night~」ですでに披露済みだ。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の小林洋行氏は、1年前セレモニーのオープニングパフォーマンスについて次のように語る。
「東京2020オリンピック・パラリンピックは、史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会にすることをビジョンに掲げています。すなわちスポーツだけでなく、テクノロジーや文化を加味して新しい価値を生み出すことを目標としているのです。
スポーツ・テクノロジー・文化の融合を考えたときに、高速追従プロジェクションマッピング対応プロジェクターによって新たなチャレンジをしてみたいと思いました」(小林氏)
実際のパフォーマンスを体験した小林氏は「映像と音、動きを含めた迫力が段違い」と評した。津軽三味線と新体操、最先端の映像技術と、それぞれ別の要素が融合することで新しいコンテンツを生み出している印象を受けたという。さらに「この演出を観て皆さんが力をもらえる、今回のオープニングアクトにはそうした思いも込めました」とも話してくれた。
「テクノロジーが進化することで、これまでスポーツにあまり馴染みのない人たちがスポーツをより身近に感じられるきっかけになるのでは。それはプレーに限らず、観戦方法に関しても同じです。東京2020オリンピック・パラリンピックを通じて潜在的な興味を掘り起こし、もっともっとスポーツの魅力を伝えていくのも私たちの重要な役目です。
スポーツには未来を変える力があり、テクノロジーにはスポーツを変える力があると考えています。今後、両者がさらに結びついて、想像もできなかったような展開が生まれることを期待しています」(小林氏)
遅延は1000分の2秒、ごく自然に映像が追従する技術力の高さ
このシステムは、パナソニック コネクティッドソリューションズ社 メディアエンターテインメント事業部が開発した。BtoBを主軸に、プロジェクター、フラットパネル、放送機器、サウンド機器、会議システムなど映像関係を中心とした部署である。
同事業部の藤畝健司氏は「2015年から開発をスタート。映像業界の中でも非常に新しい挑戦であり、高速性を極限まで引き出すことを念頭に置きました。これにより、お客様に対する体験価値を高めていきます」と語る。
プロジェクターは画質と明るさ(輝度)の2軸の進化で発展を遂げてきた。画質はSD、HD、フルHD、4Kとなり、ハイエンド業務用プロジェクターの輝度は30000ルーメンに達するものもある。こうした業界の標準的な進化軸に"スピード"という違う軸を立て、独自の武器にしていこうとの思いがある。
浅井宏建氏は、「プロジェクションマッピングが一般化するに従い、単に建物の壁に映して観るだけでは皆さんも飽きたらなくなっています。高速追従プロジェクションマッピングは、パフォーマンスと映像をごく自然に一体化できるソリューションなのです」と胸を張る。
今回のシステムは、投写部である高速プロジェクター、センサー部である赤外線ライトと高速度カメラから成っている。演者がスティックの先につけたマーカーに赤外光を照射し、高速度カメラで撮影。撮像した画像を高速プロジェクターに搭載した演算部で計算することで、マーカーの位置を極力遅延することなく特定できる。高速プロジェクターは位置情報をもとに1920fps(1秒間で1920枚のフレーム)で瞬時に投写。この組み合わせにより、位置情報の検出からコンテンツの投写までがわずか0.0016秒という高速追従性を可能にした。
藤畝氏によれば、初めて観たほとんどの人が「ダンサーさんがここまであわせるなんてすごいですね」と漏らすそうだ。浅井氏は「目視では遅延はわかりません。一般的なプロジェクターが60fpsですから、映像の滑らかさも特筆すべき点です」と言う。
「500日前イベントでは、ダンサーのケント・モリさんに3日間パフォーマンスしていただきました。印象に残っているのは"踊りを変えられるのがすごく楽しい"と言っていたこと。自由な動きに映像が追従するので、少しずつアレンジしていたようです」(藤畝氏)
1年前セレモニーのオープニングパフォーマンスは500日前イベントと同じ技術を用いながらも、画面サイズを4倍に拡大した。そこで合計4台(うち1台はバックアップ)の重畳構成とし、輝度向上を果たした。「このシステムはリアルとバーチャルの境界を曖昧にするもの。高精細かつ高輝度な映像に追従という要素が加わることで、立体感と混合感が増してよりハイレベルな演出ができます。1年前セレモニーのオープニングパフォーマンスは、まさにそうした表現の格好のデモンストレーションとなりました」(藤畝氏)
今後について浅井氏は「このシステムが進化すれば家の壁や床に映像を映し出して、あたかもゲームの中にいるようなプレーが可能になります。テクノロジーの進化がこれまでになかったスポーツを生む、そんな夢を実現する一助となれば」と話す。
例えばゴーグルが必須のVRは単独で没頭するしかないが、高速追従プロジェクションマッピングであれば複数で"体感"できる。これまでに追従機能を活かした卓球やサッカーなどをユーザーに試してもらい、確かな手応えを得てきた。高速追従と人の動きのインタラクションにより、すでにスポーツとテクノロジーの融合は始まっているのだ。
来年はさらにイベントが加速、いよいよオリンピックは目前に
成功裏に終わった1年前セレモニーは1つの通過点だ。本番イヤーとなる来年は4月から日本国内を舞台にした聖火リレー、さらには「東京2020 NIPPONフェスティバル」が始まる。
「東京2020 NIPPONフェスティバルは、今まで進めてきた参画型イベントの集大成。より多くの人たちに参加してもらい、東京2020オリンピック・パラリンピックを身近なものに感じていただくのが主旨です。私たちは2020年大会をきっかけに、1人でも多くスポーツに関心を持つ人を増やしたいのです」(小林氏)
公式パートナーのパナソニックも思いは同じだ。「オリンピックを1つの契機として、まだまだスポーツやエンターテインメントの発展は続きます。我々の技術でそのベースをしっかりと支えていきたい」(藤畝氏)、「パナソニックにとって創業100周年を超えて最初に迎えるオリンピック。テクノロジー面で、今までの大会を超えるインパクトを残したいですね」(浅井氏)
空手やスケートボード、サーフィンなど東京2020オリンピックでも新たな競技が加わった。2大会後、3大会後には、もしかしたら"テクノロジー由来の新スポーツ"が新種目として採用されるかもしれない。それこそ、心躍る未来のオリンピック像である。
コンテンツを支えた有能なクリエイティブチーム
1年前セレモニーのオープニングパフォーマンスで映像コンテンツを担当したのはMoment Factory(モーメントファクトリー)。カナダ・モントリオールが本拠地の同社は2001年に創業した映像中心のデジタルアート集団で、東京・渋谷にも日本オフィスを構える。
ゲームやVRなどの仮想領域ではなく、有機的な"リアル"を追求し、大勢の人たちと感動を共有することをビジョンとする。2017年からパナソニックの開発チームと協業を開始し、活発に意見を交換しながら研鑽を積んできた。その積み重ねが、500日前イベントと1年前セレモニーのコンテンツとなって結実した。
同社の共同創業者であるドミニク・オーデット氏は「1年前セレモニーのオープニングパフォーマンスのコンテンツでは、パナソニックの高い技術力を柱に、伝統と先鋭的なテクノロジーとのコラボレーションをコンセプトとしました。アスリートが制約に縛られず、新しい境地に達することができたと思います」と語る。パナソニックの藤畝氏は「クリエイターとの共同作業を通して、何を作りたいのか、何が喜ばれるのか、何が演出にとってベストなのかといったさまざまなテーマや課題を話し合いながら作り上げてきました。非常にやりがいのある機会でした」と振り返る。
モーメントファクトリーでは将来に向け、オーギュメンテッドスポーツ(拡張スポーツ)の開拓を視野に入れている。オーデット氏は「500日前イベントで手掛けた卓球やサッカーのように、テクノロジーと実際のスポーツを融合するのが大きな狙い」と言う。パナソニックの浅井氏も「コラボレーションを重ねることで、お互いに刺激を与え合いながら新しい表現を生み出していけるはず」と自信を深めるだけに、これからのタッグも楽しみなところだ。
(ライター:小口 正貴(スプール))
「未来コトハジメ」 - 日経ビジネスオンラインSpecialにて、2019年8月23日(金)公開