
2025年7月14日
- 技術・研究開発
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スマートフォンや大型テレビ、デジタルサイネージに用いられる有機EL(OLED)ディスプレイの製造において、長年にわたり課題とされてきたのは、プロセスの高コストと大型装置の存在である。パナソニックは、これらの壁を打ち破る「産業用インクジェット技術」を開発し、OLEDディスプレイ製造に革新をもたらした。権威ある「第71回(令和6年度)大河内記念技術賞」を受けた新技術。不可能を覆した要因とは? その先に見据える未来とは? 技術開発をけん引したパナソニック プロダクションエンジニアリング株式会社の部長・吉田英博、主幹技師・中谷修平、課長・臼井幸也に話を聞いた。
大河内記念技術賞を受賞した産業用インクジェット装置
吉田: OLEDディスプレイのパネル製造で従来主流だった「真空蒸着法」は、大規模な真空装置が必要でコストがかさみ、特に大型への対応に課題がありました。しかし、私たちが開発したのはインクジェット方式で、真空ではなく通常の大気中で、心臓部であるRGB(赤・緑・青)の発光材料を、超精密なプリンターで「印刷」するように塗布する技術です。
中谷: インクジェット方式は、発光材料をインク化し、必要な箇所に必要な量を精密に塗布できるので、材料の使用効率が劇的に向上し、大幅なコストダウンが可能です。設備が比較的コンパクトでエネルギー消費も抑えられ、大型のガラス基板にも均一かつ高速に塗布できるので、高精細な大型OLEDディスプレイの生産効率を飛躍的に高めます。
吉田: 「低コスト」「大型化対応」「省エネ」「高品質」を同時に実現する点が、この技術の革新性です。今回の受賞ではこれらが総合的に評価され、パナソニックの技術力の高さを改めて示すことができました。
大河内賞とは
公益財団法人大河内記念会が、生産工学、生産技術、生産システムに関する日本の優れた業績に対し、学術の進歩と産業の発展に大きく貢献したものに贈る賞。故・大河内正敏博士(元理化学研究所所長)の功績を記念し、「生産のための科学技術の振興」を目的に、1954年の設立以来、日本の科学技術分野で極めて権威ある賞の一つとして知られている。
関連リンク:「低コスト・高精細OLEDディスプレイを実現する産業用インクジェット装置の開発」で第71回(令和6年度)大河内記念技術賞を受賞
吉田: 2000年代初頭、イギリスのケンブリッジ・ディスプレイ・テクノロジー社で印刷によるOLEDの可能性に触れたのが始まりです。当時、パナソニックはこの分野で完全に後発。それでも、印刷方式のメリットを生かせば、必ず道は開けると信じて、2010年頃から本格的な開発に着手しました。
中谷: 私は2010年頃からインクを吐出するプロセスの開発に携わりましたが、最初はインクが飛ばない、ノズルから漏れるというレベル。使えるインクの制約も厳しく、半年以上もまともにインクが出ない日々が続きました。さまざまな特性のインクを、安定的かつ超微細な液滴として精密に吐出するために、ヘッドの構造を一から見直し、インクメーカーと密に連携して、手探りで進んでいきました。
吉田: 2012年頃に主要技術は確立できたものの、今度はヘッド自体の製造歩留まりが低いという課題に直面しました。1台に数十台ものヘッドを搭載するため、その全てに高い精度が求められます。チーム一丸で品質を突き詰め、私たちが目標としていた2013年のCES*1で、世界初の印刷方式56インチ4K OLEDディスプレイを展示。「印刷方式でこれほど綺麗なものができるのか」と驚きをもって迎えられました。
*1 CES:米国・ラスベガスで開催された世界最大級のテクノロジー見本市。
吉田: CESでの反響を受けて国産事業化を目指す動きが加速し、2015年にJOLEDという会社が設立されました。パナソニックからは発光層形成技術*2、ソニー様(当時)からはTFT技術*3を持ち寄り、まさにオールジャパンで挑む量産化です。試作レベルからさらなる技術進化を続け、2019年にJOLEDが世界で初めて印刷方式によるOLEDディスプレイの量産ラインを稼働させました。
*2 発光層形成技術:OLEDディスプレイが自ら光る心臓部「発光層」(光の三原色を生む有機材料層)を、超精密に形成する技術。
*3 TFT技術: Thin Film Transistor(薄膜トランジスタ)の略称。ディスプレイの画面を構成する非常に小さな画素一つひとつを、個別にオン・オフさせたり、明るさを細かく調整したりするための、超小型のスイッチとその関連技術。
中谷: 量産で最も重要なのは、安定性です。実験室と異なり、連続して高い品質で作り続けなければなりませんし、たくさんの予期せぬ不良にも直面しました。
臼井: 量産ラインの安定稼働と高品質生産を支えたのが、精密な制御技術です。特に、各ノズルの噴出量を個別に精密制御できる「Drive Per Nozzle技術」で色ムラを抑制し、生産中の微細な変化も自動補正するシステムも開発しました。これらの制御が、量産化を支えました。
大河内記念技術賞をはじめ、世界最大規模のディスプレイ学会「SID」でも表彰されるなど国内外から高い評価を獲得
吉田: まともにインクが出ない時代から開発を始め、印刷方式で世界初の56インチ4K OLEDディスプレイのCESへの展示を実現したわれわれにとっても、実用化を担うJOLEDを通じた市場導入ができなくなることは予想外の出来事でした。しかし「このまま終わらせたくない!」という強い思いが生まれ始め、新たな分野への展開に舵を切ることができました。
ただし、依然としてインクジェット技術を手掛けていること自体への認知度が低く、「パナソニックが、なぜインクジェットを?」という反応も少なくありませんでした。まずは技術力を客観的に示し、広く認知していただこうと、大河内賞や市村産業賞に応募したのです。国内外の展示会にも出展し、直接見て触れていただく機会を増やしていきました。
中谷: こうした活動を通じて、社内外から「このインクジェットはすごい」という声が増え、開発者のモチベーションも向上しました。さらに受賞によって、お客様の信頼感や新しい引き合いにもつながったと思います。
インクジェット技術を用いたペロブスカイト太陽電池。透明度を高め、ガラス窓にも活用できる
吉田: 二つの進化の道筋があります。一つはさらなる高精細化です。もう一つは高粘度インクへの対応で、これを扱えるようになると、粒子がインクに分散しているようなものも精密に塗布できるようになり、適用分野が飛躍的に広がります。
特に私たちが注目しているのは、次世代太陽電池として期待されるペロブスカイト太陽電池です。私たちのインクジェット技術を応用した独自の「大面積塗布法」により、発電の核となる材料を大面積のガラス基板上へ均一に塗布することが可能になりました。 これにより、高い発電効率を維持しながら、従来にはない薄型・軽量化を実現しています。
中谷: インクジェット方式のもう一つの大きな利点は、その高い材料利用効率と、それによって生まれる設計の自由度の高さです。従来の製造方法では、一度材料を全体に塗布してから不要な部分を取り除くプロセスが必要な場合もありましたが、インクジェット方式は発電層となるインクを狙った場所にだけ精密に滴下します。これにより、高価な材料の無駄を削減できます。
臼井: その「狙った場所にだけ塗布できる」という特性が、ユニークな価値を生み出します。例えば、発電層の塗布パターンを縞模様のようにデザインすれば、発電能力と光の透過性を両立させた「発電する窓ガラス」を作ることが可能です。窓としての明るさを確保しつつ、エネルギーも創出する。これは、インクジェット方式ならではの大きな強みです。もちろん、製造時に真空環境を必要としないこと、そして材料ロスが少ないことは、省エネルギーでサステナビリティの観点からも非常に重要です。
吉田: このように、私たちのインクジェット技術は、ペロブスカイト太陽電池に「大面積・高効率」と「高い設計自由度」という二つの価値をもたらします。これにより、これまで設置が難しかった建物の壁面や窓など、新たな場所への太陽電池の展開を可能にし、持続可能な社会の実現にも貢献できると考えています。
吉田: 産業用インクジェット技術は、大気中で精密な塗布ができる極めてユニークなハイテク技術で、材料使用効率の高さや開発リードタイムの短縮といったメリットも併せ持っています。私たちは、この技術の可能性を信じ、ディスプレイ分野での進化はもちろん、エネルギー、エレクトロニクス、そしてまだ見ぬ新たな分野へと積極的に展開し、社会のさまざまな課題解決に貢献していきたいと考えています。今回の受賞は、私たちの誇りであると同時に、新たな挑戦へのスタートラインです。
中谷: 15年前、インク漏れに悩むような状態からスタートし、今では世界で評価される技術にまで育て上げられたのは、ひとえに諦めずに挑戦し続けてきた結果です。しかし、私たちのゴールはまだまだ先。「世界No.1の印刷機を作る」という夢を実現し、その技術でお客様に喜んでいただくことが、私たち技術者の最大のやりがいです。皆さまの事業で「精密に何かを塗りたい」「新材料の塗布方法を探している」といったお困りごとがあれば、ぜひご相談ください。きっとお役に立てることがあるはずです。
臼井: 私たちは、常にお客様の想像や期待を超える機能やシステムを提供したいとの思いで、開発に取り組んでいます。それは、単に高精度な装置を作るだけでなく、例えばボタン一つのシンプルな操作で複雑なプロセスを自動実行できるシステムや、あらゆる変化を捉えて最適な状態を維持する自己診断・補正を備えた装置です。私たちの技術が、お客様のモノづくりに驚きと感動を与え、その先にある人々のくらしをより豊かにしていく――。そんな未来に向けて、これからもチーム一丸で技術を磨き続けます。どうぞご期待ください。
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