【要旨】
松下電器産業株式会社は、寒川誠二教授(東北大学)、原正彦教授(東京工業大学)、冬木隆教授(奈良先端科学技術大学院大学)、柳田敏雄教授(大阪大学)と共同で、半導体特性を阻害するナトリウムイオン等のアルカリ金属イオンを含まないフェリチンタンパク質[1](以下、フェリチン)を用いた半導体製造プロセスを開発しました。これにより、従来の半導体プロセスでは困難である超微細(1桁台のナノメートル[2]レベル)構造の半導体が形成できるため、切手の大きさで1テラバイトの記憶容量を持つ超大容量メモリー等の開発に弾みがつくと期待されます。なお、この研究は文部科学省「経済活性化のための研究開発プロジェクト(リーディングプロジェクト)」[3]で実施しました。
【効果】
本開発のプロセスでは、フェリチン構造を維持したまま、アルカリ金属イオンを百億分の1のレベルに除去することが可能になりその結果、トランジスタの動作状態が安定し、正確にデータを記憶させることができるため、より信頼性の高いナノ構造半導体が作製できます。
【特長】
今回開発したプロセスの特長は以下の通りです。
- 独自の置換洗浄によりアルカリ金属イオン濃度を半導体特性に影響が無い、百億分の1レベルで制御
- シリコン基板上に特定の材料でパターンを形成し、その材料にのみ吸着する特性をもつフェリチンを塗布し、フェリチンを基板上に正確に配列パターン化
- 従来の半導体工法に比べ低温である500℃程度の熱を加えることによりフェリチン内の金属化合物を金属に還元し、電子蓄積を実現
【内容】
本開発は、以下の技術により実現しました。
- フェリチン溶液のアルカリ金属イオン濃度を150ppt[4]以下とするフェリチン精製技術
- シリコン基板上の目的の場所にフェリチンを吸着させる高精度パターン化技術
- 配置されたフェリチンに内包された金属化合物を金属に還元する熱処理技術
【従来例】
フェリチンを人工的に化学合成することは非常に困難であるため、生体内から抽出する方法が一般的です。しかし生体内のフェリチンは、生命活動に不可欠なナトリウム等のアルカリ金属イオンを多量に含んでいます。このアルカリ金属イオンは半導体デバイスの動作を不安定にするため、除去することが不可欠であり、大きな課題になっていました。
【備考】
第55回応用物理学関係連合講演会シンポジウム「バイオに学ぶ電子デバイス作製とその応用」(2008年3月29日、日本大学理工学部船橋キャンパス)で講演予定です。
【特許】
国内: 54件 海外: 60件(出願中を含む)
【特長の詳細説明】
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独自の置換洗浄によりアルカリ金属イオン濃度を半導体特性に影響が無い、百億分の1レベルで制御
アルカリ金属イオンは半導体デバイスの動作を不安定にする物質です。そのため、半導体製造プロセスに使用する溶剤に含まれるアルカリ金属イオンの混入量は150ppt以下にするよう求められています。本開発技術ではシリコン基板に塗布するフェリチン溶液において、残留するアルカリ金属イオンの濃度を百億分の1レベルまで低減することに成功しました。フェリチン溶液が半導体製造プロセスに利用されるための重要なハードルをクリアできました。 -
シリコン基板上に特定の材料でパターンを形成し、その材料にのみ吸着する特性をもつフェリチンを塗布し、フェリチンを基板上に正確に配列パターン化
リソグラフィ技術は進歩しつつあるものの、1桁台のナノメートルレベルの構造物作製は依然困難です。本技術開発はリソグラフィであらかじめ形成したパターン内部に1桁台の微細(7nm以下)な構造物を形成可能です。まずシリコン基板に従来のリソグラフィ技術でチタンのパターンを形成します。シリコンには吸着せず、チタンにのみ吸着する特性を有する分子鎖[5]を新たに取り付けたフェリチンに金属化合物(7nm以下)を内包させ、チタンパターンがあるシリコン基板に塗布すると、チタンパターンのみにフェリチンが自発的に並んで吸着します。チタンパターンをリソグラフィで形成する以外は、フェリチンを含む溶液への各種化学物質の混合、基板への塗布のみですので、大規模な設備を必要とせず比較的容易かつ安価に作製できます。現在作製に成功している金属化合物は、酸化鉄、酸化コバルト、酸化亜鉛、ニッケル化合物、硫化金、硫化白金などです。また、リソグラフィで作製するパターンはチタン以外の材料でも可能です。 -
500℃程度の比較的低温の熱を加えることによりフェリチン内の金属化合物を金属に還元し、電子蓄積を実現
金属や半導体のナノ粒子に電子を蓄積して情報を記憶させることができます。しかし、フェリチンに内包されているナノ粒子は金属化合物で、電子を蓄積できる金属ではありません。金属化合物のナノ粒子を金属に還元させる必要がありますが、従来、ナノ粒子は熱処理により凝集しやすいという課題がありました。本開発技術では、ナノ粒子を凝集させることなく金属に還元させることが可能です。まず、酸化膜を形成したシリコン基板表面に金属化合物を内包するフェリチンを配置し、さらにその上に酸化シリコンを堆積してフェリチンを基板に埋め込み、最後に加熱処理します。酸化シリコンには金属化合物(酸化物)から酸素原子を引き抜く効果があり、金属化合物は還元され金属となり、電子を蓄積できるようになります。加熱温度は、シリコン基板に既に形成されているパターンや回路などへの影響が少ない、500℃程度と比較的低温です。
【内容の詳細説明】
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フェリチン溶液のアルカリ金属イオン濃度を150ppt以下とするフェリチン精製技術
フェリチンは人間を含む生物の体内で作り出される物質で、工業的には大腸菌を利用して生産します。大腸菌を破砕処理してフェリチンを取り出しますが、得られたフェリチンを含む溶液は破砕物や大腸菌が生命活動を営むために不可欠であったアルカリ金属イオンなどを含んでいます。そこで、これらの不純物を取り除くためフィルターなどでろ過したり、純水と置換したりする処理を行います。しかし従来は、取り出すフェリチンをアルカリ金属イオン濃度が著しく低い環境に置くと、その分子骨格が壊れてしまうと危惧されていました。本技術開発では精製過程を詳細に検討することにより、フェリチン分子骨格を維持したまま、アルカリ金属イオン濃度を低下させることに成功しました。 -
シリコン基板上の目的の場所にフェリチンを吸着させる高精度パターン化技術
ナノ粒子を利用して電子デバイスを作製するには、シリコン基板上の目的の場所に、フェリチンを正確に配置する必要があります。従来、ナノ粒子を基板全面に配置することに比べ、基板表面上の特定の場所にナノ粒子を配置するには複雑な工程が必要で、大変困難でした。本技術開発では遺伝子工学を利用して、基板表面の特定箇所に選択的に吸着するよう、フェリチン分子構造を新たに設計しました。本技術によりナノ粒子を含むフェリチンを基板表面の特定箇所に精度よくパターン化することが可能となりました。
基板表面にリソグラフィ技術で六角形形状のチタンパターンを形成し、フェリチンを基板表面に塗布します。フェリチンはチタン以外のシリコン領域には吸着せず、個々のフェリチン粒子が自発的に並んだ構造(写真)が実現します。 -
配置されたフェリチンに内包された金属化合物を金属に還元する熱処理技術
酸化膜を形成したシリコン基板表面に金属化合物を内包するフェリチンを配置し、さらにその上に酸化シリコンを堆積してフェリチンを基板に埋め込み、最後に加熱処理します。これにより金属化合物は還元され金属となり、電子を蓄積できるメモリーとして機能します。熱処理で金属化合物を金属に還元するには適切な加熱温度と加熱時間が重要です。表面分析装置を駆使して金属への還元過程を詳細に調べることにより、最適な加熱温度と加熱時間が判明しました。
【用語の説明】
- [1] フェリチンタンパク質
- 外形12ナノメートル、内径7ナノメートルの籠状タンパク質の一つで、哺乳類のもっているタンパク質です。生体内では鉄を貯蔵しますが、様々な無機化合物を籠の内部に形成させることもできます。
- [2] ナノメートル
- ナノメートル(nm)は長さの単位です。「ナノ」とは10億分の1という意味で、1nmは10億分の1m(メートル)になります。
- [3] 文部科学省「経済活性化のための研究開発プロジェクト(リーディングプロジェクト)」
- 2003年から5年間行われた、文部科学省主導のプロジェクト。その内のひとつのテーマである「ナノテクノロジーを活用した新しい原理のデバイス開発」を松下電器 山下一郎主幹研究員がリーダーを務め、4大学と連携して研究開発を進めました。
- [4] ppt
- 1兆分の1を示す単位です。主に濃度を表すために用いられます。「parts per trillion」の頭文字をとったものです。液体中の不純物では重量比を用いるのが一般的です。150pptの濃度とは、25mプール(幅12m・水深1m)に耳掻き1杯(50mg)の物質を溶かした程度です。
- [5] チタンにのみ吸着する特性を有する分子鎖
- (財)癌研究会 癌研究所の芝清隆部長らが発見した物質。10個程度のアミノ酸で構成されています。
【写真】六角形のチタンパターン上に並んで吸着しているフェリチン群の電子顕微鏡写真