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2024.08.08
歴史ものがたり
Episode 02:科学と工業の先覚者の像

11人から成る「科学と工業の先覚者の像」。噴水の中心にトーマス・アルバ・エジソン(米・発明家)の立像があり、その周りを豊田佐吉(日本・発明家)、グリエルモ・マルコーニ(伊・発明家)、ゲオルグ・ジモン・オーム(独・物理学者)、佐久間象山(日本・学者)、平賀源内(日本・学者)、マイケル・ファラデー(英・物理学者、化学者)、アンドレ・マリー・アンペール(仏・物理学者)、橋本曇斎(日本・学者)、関孝和(日本・数学者)、アントン・フレデリック・フィリップス(蘭・工業経営者)の胸像が取り囲んでいます。

次代への道しるべ

大阪府門真市にあるパナソニックグループの本社地区。正門を入ってすぐ、構内のほぼ中央にその群像はあります。

トーマス・アルバ・エジソンをはじめ外国の6人、日本の5人から成るこの群像は、科学と工業の発展に貢献した先覚者の遺風をしのび、その功績に尊敬と感謝の念をささげるために建立されたものです。松下電器の創業50周年を記念し、1965年にエジソンの立像、1968年までに佐久間象山ら10人の胸像が完成しました。

幸之助は「新たに湧き起こる発奮と努力をもって先覚者にあやかり、世界に誇り得るような、より進歩した技術と科学の開発に打ち込んでゆかねばならない。これらの銅像が次代を担う人々の良き“道しるべ”となることを祈念している」と思いを語っています。

除幕式では、トヨタ自動車会長の石田退三氏(当時)が、「我々が近代文明を享受できるのは、これらの偉大なる先覚者のおかげである。銅像建立は一大快挙であり、厚く御礼申し上げる」と祝辞を述べました。

また、西ドイツ総領事のヴォルフガンク・ガリンスキー氏(当時)が、「外国からの訪問者は、これらの銅像を見ることで、科学と技術の進歩は全世界の民衆の平和的な努力によって可能であると知るだろう」とたたえました。

 

エジソンと向き合う

本社で行われた「エジソン百年祭」で話をする幸之助(1967年)

群像の中心、ひときわ高い場所に立つその人は、幸之助が心酔した「努力の人」です。

一見すると手の中の電球を見ているようですが、よく見ると、視線は別の方を向いていることが分かります。実は、幸之助の執務室を見つめていたのです。銅像を制作した彫刻家によると、幸之助は「エジソンと向き合えるのが理想でね」と語ったそうです。「きっと無言の対話をされたいのだろう」とくみ取り、銅像の高さと姿勢、視線の向きを決めたのでした。

幸之助にとって、エジソンは特別な存在でした。劣等生として扱われた小学校をわずか3カ月で退学し、いわゆる師には恵まれなかったエジソンが、万物を師として学び取ろうとした姿勢に共鳴し、生涯にわたり尊敬したのです。ナショナル電球株式会社を1936年に設立した頃、エジソンの大きな写真を執務室に掲げていたといいます。

群像完成から5年がたった1973年、技術責任者会議で幸之助は、「もし本社に来てエジソンの像を見たら、何かを感じてほしい。エジソンの顔を見て、何かが頭を通り抜けていくと感じるか、感じないか。もし感じないとしたら、技術者として自分は一人前だという誇りを持つことは、少しおこがましいと思う」と述べています。

素直な心であらゆる物事を自分の師とし、そこから学び取ろうとするならば、道は無限にある―。偉大なる先覚者の群像に込めた幸之助の思いをしのび、世界に誇り得る新技術・新商品を、パナソニックグループを挙げて生み出したい。

エジソン(1847年~1931年)は、1,000件を超える優れた発明をした「発明王」として知られていますが、発明を事業化し、人々の生活を豊かにすることに貢献した事業家でもありました。中でも電球の発明と事業化は、一般家庭に電力を取り入れる機会をつくり、家庭電化という文明の礎を築いたと言われています。

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