2023年経営理念特別展 経営のコツここなりと気づいた価値は百万両

ブランド-私たちの絆

2023年経営理念特別展 経営のコツここなりと気づいた価値は百万両

人や社会とパナソニックグループをつなぐ「絆」であるブランドと向き合う本コーナー。今回は、6月30日までパナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館で開催された「経営理念特別展」を紹介します(イントラは継続公開)。この特別展は、時々の経営方針に直結するテーマを設定し、社史や創業者の考え方、実践事例から課題解決のヒントを学ぶために年2回実施しているもので、今回で50回目。パナソニックグループのパーパス(存在意義)を果たすために、私たち一人ひとりが社員稼業を実践するヒントとして「先人たちは何をきっかけに、どんな気づきを得て、どのように変わったのか」を具体的なエピソードで紹介しました。その一部を抜粋します。

エピソード|当事者意識を持つ

オーナーの目

1978年 洗濯機工場の生産ライン

君はこの設備を、しっかり動かし、儲けてくれていますか?――工場案内時の創業者の目つきから、オーナーとして、資金の活用に目を光らせる姿勢に気づき、その後、オーナー目線での経営判断に徹した先輩の話を紹介します。 

1977(昭和52)年当時、洗濯機事業部は赤字すれすれの経営が続き、創業者はその経営を心配して、頻繁に工場視察に来ていた。その時に、創業者を工場長として案内したのが、松田章氏(後に松下通信工業の社長)であった。「あの方(創業者)は我々の説明を非常に熱心に聞かれます。私がこの設備、この機械という風に説明していきますと、とても熱心です」。

「ただ、その説明を私がしている途中で、時々、私の顔を『チラリ』というか、『ジロリ』というか、見られるのです。その目が、かなり厳しい目なのです」。創業者は、時折このように松田氏の顔を見ながら見学を続けたという。見学が終盤になった時、松田氏は気づいた。「そうか、これはオーナーの目なのだ。『この設備、この機械は私のものですよ。私がお金を出して買った機械ですよ。君は、これをちゃんと使ってくれていますか?大事にしてくれていますか?そして、これを動かしてちゃんと儲けてくれていますか?』ということを伝え、確認する目なのです」。

創業者がそういう発言をしたわけではないが、松田氏は強く感じた。当時、創業者はすでに相談役であり、第一線の経営から退いていた。それでもなお、現場に立って責任者と一緒に、資金が有効に活用されているかどうかを確認していたのだ。

「なるほど、これがオーナーだな。そこまで経営というものを自分のものとして考えておられる。我々はやはり『会社の設備、会社の従業員』という目で見ているが、そうではなく、『自分の設備、自分の社員』のつもりで仕事に向き合うことが大事なのだ」。松田氏はこのように考え、自らの行動も変えた。例えば部下が設備を購入する決裁願を持ってきた時には、自分の財布から実際に1万円を取り出し、1千万円に見立てて机に並べ、「君はこの設備を、自分の財布から金を出して買えるか?」と質問するようにしたのである。「うまくいかなかったらこの金はパァになる。それでも君は本当に買うか?うまいことを言って会社から金を引き出して買おうというなら、それはアカンで」。

松田氏は、この経験を次のように伝えている。「これはある意味、社員稼業の精神に通じると思います。自分がこの仕事の社長である。自分が社長、オーナーという気持ちで仕事をするというのは、それだけ真剣味が出てくるということなのではないかと思うのです」。

エピソード|事業の意義を知る

松下の名刺代わりの商品

1969年 ネオハイトップのライフテストの様子

電池は、電気を通じて消費者の生活を支え、電化製品の普及に伴い、活躍の場を広げてきました。現在でも、最も手軽で、日常的に手に取る機会の多い製品であり、当社製品の入り口としての役割を果たしています。ふとした機会に、商品ひいては事業の意義を再認識し、目標に落としこんで取り組みを続けることも重要ではないでしょうか。

「従来の2倍の性能の乾電池」を目指し、1960(昭和35)年から開発に着手、1963年に発売に至った「ナショナルハイトップ」は、その強力なパワーによって、それまでの電池では使用できなかったカミソリ、電卓などの幅広い分野にも使用が可能になり、その需要をさらに拡大させた。

乾電池事業部から完成の報告を聞いた創業者は、すぐに真々庵で商品を確認した。創業者は頬ずりせんばかりに商品を見て、「皆ようやってくれた。これはいいで」と事業部の努力を労った。そしてこう続けた。「電池ちゅうもんはな、一度に何千万個という数を世の中に出して、多くの人に使うてもろてるやろ。言うならば、松下の名刺代わりの商品や。その名刺が、お金も頂いて『松下の商品はいい商品でっせ』と、自ら宣伝してくれるのだから、こんなにええことないわ。その分の広告を、何千万枚ものチラシをまいてやろうと思ったら莫大な金が要る。その点からも松下最高の商品や」。

この時に同席し、後に松下電池工業の専務を務めた舟橋正雄氏は、こう振り返っている。「確かに売り上げ単価はたかが知れている電池だが、その良し悪しは当社のイメージに直接かかわってくる。電池の重大な役割に初めて気づかされるとともに、良い電池をたくさん世に出さなければという使命感を強く感じました」。

その後事業部では、「お客様や販売店に名刺代わりにお届けすることを前提としたら、万一、品質に問題がある『悪い名刺』であった場合は、すぐさま当社全体のイメージを下げることになる」と、品質には万全の注意を払い生産に取り組んだ。また、ラジカセなど、よりハイパワーの機器を動かすために、さらなる開発を進め、1969(昭和44)年には、「ネオハイトップ」を発売したのである。

舟橋氏は1976年の社内誌で、「ハイトップは昭和38年から13年間、ネオハイトップは昭和44年から7年間、デザインについても変えていません。それほど大事なデザインです。また価格も、昭和29年にハイパー(乾電池)を40円と決めて以来20年間、変えていない。その代わり、工場では血のにじむような合理化に次ぐ合理化に取り組み、努力を重ねています」と語っている。ナショナルの名刺代わりの商品として、役割を忠実に果たしてきたのである。

創業者、「経営のコツ」を語る

経営のコツを自得する

塩の辛さを知る

事破れて悟る

グループCEOに聞く

全員が社員稼業の実践を

今年も移動展示会を開催します!8月~来年3月にかけて巡回。開催拠点の皆さんはぜひご見学ください。

WEB展(イントラ)はこちら

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