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2022年5月6日

座右の銘「心如工画師(しんにょくえし)」との出会い

掛け軸

皆さん、GWは少しはゆっくりお休みになられたでしょうか?

GW中もお仕事をされていた皆さん、大変お疲れ様でした。

是非、休める時にゆっくりなさってください。


さて、私は、GWの前半に亡父の13回忌の法要で実家に戻った時に、一幅の掛け軸の写真を撮りました(添付)。


私は「座右の銘は何ですか?」と聞かれた時に、創業者の残された言葉を差し置いて「心如工画師」...心は工(たく)みなる画師(えし)の如し...という言葉を挙げています。


実は、この言葉との出会いはひょんなことからでした。私の高校は、当時は奈良の東大寺の南大門と大仏殿の間にありました。さりとて、授業に仏教の時間があったわけでもなく、校則もなく服装も自由だったのですが、文化祭の時には父兄向けのバザーとして、経営母体である東大寺のお坊様が書き下ろされた書画が提供されていました。


そのバザーに、後に第213代東大寺別当になられ、当時から書家としてもご高名であった平岡定海師の「心如工画師」が出品され、ダメ元で抽選にエントリーし、高倍率であったにも関わらず見事に当選したのが、写真の掛け軸だったのです。


当時高校生であった私の目から見ても非常に味わいのある字で、非常に興味をもってこれがどういう意味なのかを調べたところ、これが、「華厳経 唯心偈」の冒頭の5文字であると知りました。


心如工画師 畫種種五陰  一切世界中 無法而不造  如心仏亦爾 如仏衆生然  心仏及衆生 是三無差別

諸仏悉了知 一切從心轉  若能如是解 彼人見真仏  心亦非是身 身亦非是心  作一切仏事 自在未曾有  若人欲求知 三世一切仏  應當如是観 心造諸如来


当時、私が注目したのは:

  • 最初の2行「心如工画師 畫種種五陰 一切世界中 無法而不造」・・・
    「心は、巧みな画家のように、〔物質・感受・想念・意思・認識という〕さまざまの五陰〔から成る人〕を
    描き上げる。一切の世界においてあらゆるものを造り出す。」
  • 7~8行目「心亦非是身 身亦非是心 作一切仏事 自在未曾有」・・・
    「心は身ではなく、身は心ではないが、一切の仏事を為すことにおいて、この上なく(未曾有)自在で
    ある」
  • そして最後の「心造諸如来」・・・「心は諸々の如来をも造る」
    というあたりでした。


これらを知ったとき、そこに勝手な解釈を加えた上で、「ほう、なるほど!」と感じるところがあったのです。

  • 自分は「仏事」を為すわけではないが、自分の言動は自分の心から生じるものであり、
    その言動が他の様々に影響してあらゆるものを生じさせると知らねばならない。
  • 一方、他の方々の言動もその方の心から生じて、それが様々に影響してあらゆるものを
    生じさせている。ただ、自分の隣人の言動というものも、また、自分の心から生じる
    自分の言動によって生じさせているところがあると知るべきなのであろう。
  • 「如来(=悟りを開き真理に達した、この上なく尊い者)」に
    なれるわけもないにしても、自分の周りで生じていることというのは、少なからず自分
    の心に起因していると知るべきであり、それが良くないことであればなおさらそう認識
    しなければならないし、良いことであれば、他の方の良い心の持ち方に起因しているこ
    ともまた認識しなければならない。

平岡定海師の1枚の書から、そのような認識に立たなければならないことを気づくに至ったわけです。そういうわけで「座右の銘は?」と問われると、自分の考え方の根本になった言葉として、「心如工画師」を挙げています。


ただ、私も生身の人間ですから、以後今に至るまでの40年、常にそのような認識に基づいて行動できていたわけでもなく、失敗も後悔も多々あったわけですが・・・


松下電器に入社した後、幸之助創業者の「人生談義」の中で: 「人間というものはともすれば、うまくいったら自分の腕でやったと思いがちですね。それがおごりに通じる。それでは具合が悪い。だからうまくいったのは自分の運がよかったのだと考えたらいいし、また事がうまくいかないときは運がないと思わず、腕がないと思う。そうすれば、自分の腕を上げなければならないと考えますわな。

ぼくも幸いにして成功した部類に入るのかもしれませんが、これは自分の力ではない、運のおかげである、自分も努力をしたけれど、その努力はせいぜい一割か二割で、大部分は運のためである。そう考えて、あんまりえらそうなことを言ったらあかんと、こう思っているのですよ。」

と仰っていることを知りました。これもまた、「心如工画師」からの気づきに通じると同時に、心の持ち方への大事な示唆だと感じたのです。

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