【要旨】
松下電器産業(株)は、準ミリ波[1]帯窒化ガリウム[2](GaN)集積回路として世界最高の信号増幅率[3]22dBを実現しました。1チップで信号を160倍に増幅でき、弊社従来比約8倍の性能を得ました。広帯域無線通信システムに応用できる受信ICへの展開が期待されます。
【効果】
本開発ではサファイア[4]基板上にマイクロストリップ線路[5]を集積した3段増幅器[6]を、業界に先駆けて実現しています。これにより長距離を伝搬する中で急速に減衰する高周波無線信号を高利得かつ低雑音で高感度受信することが可能となります。 本デバイスは準ミリ波帯〜ミリ波[7]帯の大容量・長距離通信の実用化加速と通信品質向上に貢献するものです。
【特長】
本開発のGaN集積回路は以下の特長を有しています。
- 準ミリ波帯で世界最高の信号増幅率:22dB@26GHz(弊社従来:13dB)
- 低損失化・低コスト化:絶縁性に優れたサファイア基板を使用
- 優れた低雑音特性:トランジスタの雑音指数(NF)[8] =1.4dB (弊社従来:2.6dB)
【内容】
本開発のGaN集積回路は以下の新規技術によって実現しました。
- マイクロストリップ線路の集積化により3段増幅器を実現し、信号増幅率を向上 面積占有率が大きい従来のコプレーナ線路[9]に代えてマイクロストリップ線路を採用。整合回路[10]の省スペース化を図ることで1チップに増幅回路を3段集積し、信号増幅率を向上しました。
- サファイア基板への貫通電極[11]構造を取り入れ低損失・低コストを両立
化学的に安定なサファイアに高出力パルスレーザを照射して貫通孔を形成する技術を独自に開発。従来のSiC[12]より安価で絶縁性に優れているサファイアを基板に用いることにより、デバイスの高周波伝搬損失[13]の抑制とコストダウンに目途をつけました。 -
ゲート絶縁膜[14]に結晶状窒化シリコン[15](SiN)を採用し、低雑音特性を実証
欠陥が少ない結晶状SiNを窒化アルミニウム・ガリウム[16](AlGaN)上に連続成膜する技術を確立。MIS型[17]トランジスタのゲート絶縁膜に用いることにより、従来のアモルファス[18]膜に比べてゲート漏れ電流[19]を抑制し、優れた低雑音特性を実現しました。
【従来例】
GaN半導体は飽和電子速度[20]が大きく破壊耐性[21]に優れていることから、準ミリ波帯〜ミリ波帯長距離通信用デバイスへの応用が期待されています。しかしながら従来のデバイスは素子集積度が低く増幅器の多段化が困難であったため、長距離伝送で減衰した無線信号を感度良く受信することができませんでした。
【特許】
国内 29件、外国 21件 出願中
【備考】
本開発成果は2008年6月15〜20日に米国アトランタで開催の2008 International Microwave Symposium (IEEE主催)で発表します。なお、本開発は電波利用料による総務省からの委託研究「電波資源拡大のための研究開発」[22]の一環として実施したものです。
【照会先】
半導体社 企画グループ 広報チーム 中小路 陽紀 TEL:075-951-8151 E-mail: semiconpress@scd.mei.co.jp
【特長の詳細説明】
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準ミリ波帯で世界最高の信号増幅率
準ミリ波帯電波は長距離を伝搬すると著しく減衰するため、受信側で増幅器を多段接続して受信感度を上げることが求められています。本開発では業界に先駆けて3段増幅器を開発し、周波数26GHzでGaN集積回路としては世界最高の信号増幅率22dBを達成しました。これは既存のGaN増幅器に比べて約8倍の信号増幅性能向上に相当します。 -
低損失化・低コスト化
当該分野で広く用いられているSiC基板は半導体プロセスでマイクロストリップ線路を形成することは可能ですが、絶縁性に劣るため高周波信号の伝搬損失が大きく、かつ高価であるという課題がありました。一方サファイア基板は、絶縁性に優れ廉価(基板コストはSiCの10分の1)ですが、化学的に非常に安定で加工が困難であるという課題がありました。本開発では後述する貫通孔レーザ加工技術[23]を導入して、サファイア基板上にマイクロストリップ線路を形成することに成功し、損失低減とコストダウンの両立を図りました。 -
優れた低雑音特性
微弱な高周波信号を正確に増幅するためには、優れた低雑音特性(雑音レベルを抑制し微弱信号を妨害しないこと)を備えたトランジスタが必要になります。本開発では、後述する結晶状 SiNゲート絶縁膜[24]の採用により雑音低減を果たしました。雑音指数NF=1.4dBは従来と 比べて約30%雑音レベルを抑制できていることを意味します。
【内容の詳細説明】
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マイクロストリップ線路の集積化により3段増幅器を実現し、信号増幅率を向上
高周波集積回路はFET[25]・MIM容量[26]・抵抗・整合回路などで構成されていますが、特に大きな面積を占めるのは伝送線路で構成される整合回路です。従来のコプレーナ線路は1信号につき計3本の導体配線を基板表面に配置する必要があり、省スペース化に限界が ありました。今回集積化したマイクロストリップ線路では、3本のうち2本の導体配線(接地導体)を基板裏面に回し、表面側は1本だけに減らすことが可能です。このため大幅な省スペース化で集積度の高いICが設計でき、複数の増幅器を近接に配置して高い信号増幅率を得ることに成功しました。 -
サファイア基板への貫通電極構造を取り入れ低損失・低コストを両立
マイクロストリップ線路で基板裏面に回した接地導体を表面側と接続するため、基板を貫通 する電極を設けることが必須となります。サファイアは通常のエッチング工法で加工できないため、本開発では高出力の短パルスレーザを光源とするレーザ加工技術を独自に開発し、ブレイクスルーを果たしました。 -
ゲート絶縁膜に結晶状窒化シリコン(SiN)を採用し、低雑音特性を実証
高周波トランジスタの雑音性能はゲート電極からの漏れ電流を抑える事で向上します。従来はアモルファス構造のゲート絶縁膜を堆積してMIS型トランジスタを形成する場合が多く、絶縁膜中の欠陥に起因したゲート漏れ電流のために十分な雑音性能が得られませんでした。本開発では、構造が緻密で欠陥が少ない結晶状SiNをゲート絶縁膜に採用することで漏れ 電流を抑制しました。AlGaN半導体層と結晶状SiN層を連続的に成膜し、良好な接合界面を保持することが鍵となります。
【主要特性 暫定仕様】
項目 | 特性 | 備考 | |
---|---|---|---|
集積回路 | 信号増幅率 | 22dB | 従来弊社開発品 13dB |
トランジスタ | 雑音指数 (NF) |
1.4dB | 従来弊社開発品 2.6dB |
最大発振周波数 (fmax) |
203GHz | 従来弊社開発品 140GHz |
【用語の説明】
- [1] 準ミリ波
- マイクロ波とミリ波の境界に位置する電磁波の総称で、10GHz〜30GHzの周波数帯を指します。
- [2] 窒化ガリウム
- 周期表の3族に属するガリウム(Ga)と窒素(N)の化合物で、電気的にはバンドギャップ(半導体中で電子が存在し得ないエネルギー範囲)の大きな半導体に属します。一般にこのバンドギャップが大きい材料ほど電気的な破壊耐性は高いといわれています。また、青色発光素子の実現にもこの「大きなバンドギャップ」という性質が利用されています。
- [3] 信号増幅率
- 高周波信号を増幅する際の、入力信号の振幅に対する出力信号の振幅の比率です。受信デバイスにおいてこの値が大きいほど、微弱な高周波信号を捉える感度が高いことを意味します。
- [4] サファイア
- アルミニウム(Al)と酸素(O)の化合物であり、化学組成はAl2O3と表されます。絶縁性に優れている点を利用して、特に高周波動作の半導体素子を作製するための基板として利用されます。
- [5] マイクロストリップ線路
- 高周波信号を伝送するために用いる線路構造の一種です。マイクロストリップ線路構造は誘電体基板の表面に線路を形成し、裏面に接地面を設けます。裏面の接地面を基準電位として表面の線路を高周波信号が伝送します。線路は金属層で、アルミニウム、銅、金などが使用されます。高周波信号が伝送する際には失われる電力が少ない、つまり損失が小さいことが求められます。
- [6] 3段増幅器
- トランジスタなどの増幅素子を複数個、直列に接続する構成を多段接続といいます。3段増幅器は増幅素子を3個直列に接続した信号増幅器を指します。増幅素子1個、つまり一段では十分な信号増幅率が確保できない場合に、多段接続を行い信号増幅率を高くします。
- [7] ミリ波
- 30GHz以上300GHz以下の周波数をもつ電磁波を指します。電磁波が1周期の間に進む長さ(=波長)が1〜10mmであることから「ミリ波」と呼ばれています。
- [8] 雑音指数(NF:Noise Figure)
- 雑音指数は、入力側の信号対雑音比(S/N比)を出力側のS/N比で割った値として定義されます。S/N比は雑音電力に対する所望の信号の電力の比です。雑音指数が小さいほど出力側のS/N比が高くなり信号の品質が高いことを意味します。出力側のS/N比を高めるためには、トランジスタ内で発生する雑音電力、つまり所望信号以外の電気信号の電力を低減することが必要です。
- [9] コプレーナ線路
- 中心導体と接地導体が基板に対して同一平面上に形成されます。高周波信号が中心導体を通して伝送します。線路の高周波特性は、基板の損失、誘電率などの材料特性と、基板の厚さ、中心導体の幅および長さ、中心導体と接地導体の間隔などのディメンジョンに依存します。
- [10] 整合回路
- ある高周波回路から電力を出力させ、別の高周波回路へ電力を入力する場合において、電力を損失なく有効に伝送することができるように中間に接続する回路を指します。このように電力を損失なく有効に伝送できる状態を「整合がとれている」といいます。
- [11] 貫通電極
- 基板に貫通孔を形成し、基板表面の電極を基板裏面の電極に電気的に接続した構造をもつ電極です。
- [12] SiC(炭化シリコン)
- 周期表の4族に属するシリコン(Si)と炭素(C)の化合物で、窒化ガリウムと同じく電気的にはバンドギャップ(半導体中で電子の存在し得ないエネルギー範囲)の大きな半導体に属します。サファイアと同様に半導体素子を作製するための基板として利用されます。
- [13] 高周波伝搬損失
- 高周波の電磁波が誘電体や空気などを媒質として伝搬していく間に、その信号振幅が減衰する度合いを表します。減衰する度合いは伝搬距離に応じて大きくなります。伝搬損失の単位は一般にdB(デシベル)が用いられます。例えば20dBの損失は、信号振幅が元の1/10に減衰することを意味します。
- [14] ゲート絶縁膜
- ゲート、ソース、ドレインの3端子からなる電界効果トランジスタ(FET)において、ゲート電極と半導体層の間に存在する絶縁膜を指します。FETではゲート電極にかける電圧の大きさにより、ソースからドレインへ半導体層中を通る電子の流れを制御できます。ゲート絶縁膜の厚さ、品質によりこの制御の優劣が決まります。
- [15] 窒化シリコン
- シリコン(Si)と窒素(N)の化合物で、電気的には絶縁体の一種に属します。一般に結晶状窒化シリコンの化学式はSi3N4と表され、その構成元素であるSiとNが3対4の割合で存在します。
- [16] 窒化アルミニウム・ガリウム
- GaNのGa(ガリウム)組成の一部を、同じ3族のAl(アルミニウム)に置き換えた窒化物半導体の総称です。GaNとともにトランジスタを構成します。GaNよりバンドギャップ(半導体中で電子の存在し得ないエネルギー範囲)が大きく、GaNとの接合界面に2次元電子ガス(電子が高密度に蓄積された状態)が生成されて大電流を流すことが可能になります。
- [17] MIS型(Metal/Insulator/Semiconductor・・・金属/絶縁体/半導体)
- FETなどゲート、ソース、ドレインからな3端子デバイスにおいて、金属であるゲート電極が絶縁体を介して半導体と接触している構造です。絶縁体の介在によってゲート金属と半導体の間の漏れ電流が小さくできることが特徴です。
- [18] アモルファス
- アモルファス(非晶質)は、構成する元素の配列に規則性がなく、無秩序な物質構造であり、結晶と対照的な構造です。
- [19] ゲート漏れ電流
- 理想的なMIS型の構造では、ゲート電極と半導体との間は絶縁され電流が流れることはありません。しかし現実にはゲート絶縁膜の絶縁性は不完全で、ゲート電極と半導体との間に微量の電流が漏れて流れます。この電流を「ゲート漏れ電流」と呼びます。ゲート漏れ電流が大きくなると高周波トランジスタの雑音性能は低下します。
- [20] 飽和電子速度
- 電圧を印加していった時に得られる電子の最高走行速度で、半導体材料ごとに固有の物性として決められます。材料の飽和電子速度が高ければ電界をかけて電子をより高速で走行させることができ、半導体デバイスの高速・高周波化が可能となります。
- [21] 破壊耐性
- 素子に高い電圧を印加していった際に「どこまで電気的に壊れずに電圧を上げることができるか」という性質を表しています。窒化ガリウムの破壊耐性はシリコンの約10倍で高い電圧をかけても壊れにくい特長があります。
- [22] 総務省委託研究「電波資源拡大のための研究開発」
- 正式には、研究開発課題名「未利用周波数帯への無線システムの移行促進に向けた基盤技術の研究開発」中の「無線アクセス用ミリ波帯無線伝送システムの実現のための基盤技術の研究開発」に該当します。内容は以下のURLに掲載されています。
http://www.tele.soumu.go.jp/j/fees/purpose/kenkyu.htm - [23] 貫通孔レーザ加工技術
- レーザ光を基板の所定位置に照射することにより、基板への貫通電極を形成する前工程として貫通孔を開ける技術です。レーザ光源を選択することにより直径100ミクロン未満の微細な貫通孔形成が可能になります。
- [24] SiNゲート絶縁膜
- トランジスタのゲート電極と半導体層の間に存在するゲート絶縁膜としてSiN(窒化シリコン)を用いていることを表します。
- [25] FET(Field Effect Transistor・・・電界効果トランジスタ)
- ソース・ドレインと呼ばれる電荷供給・排出層とゲートとよばれる電荷の流れを制御する部分からなります。ゲートから印加した電界により半導体層内部の導電性を制御できる効果を利用して電流のオン、オフを行うトランジスタの総称です。
- [26] MIM容量(Metal-Insulator-Metal・・・金属−絶縁体−金属)
- 高周波集積回路で用いられる容量素子の一つです。絶縁体の上下を金属電極ではさんだサンドイッチ構造により構成されます。電極の面積、絶縁体材料およびその厚さに応じて、容量の値が変わります。通常、絶縁体材料としてSiN(窒化シリコン)が使われます。