創業者

松下幸之助 今日は何の日? 2月23日

2016年2月15日

特集

松下幸之助 今日は何の日? 2月23日

今から54年前、松下幸之助は世界最大の英文ニュース週刊誌『TIME』1962年2月23日号の表紙に登場した。経済成長を続ける日本に世界の注目が集まる中、日本企業への関心が高まり、幸之助にも世界的に著名なマスコミからの取材要請が増えつつあった。

20160222_today_02.jpg

表紙(左)を描いたのは昭和を代表する日本画家の堅山南風画伯。記事のタイトルは"Business Abroad(海外の実業界)"。社員の電化生活の描写からスタートし、松下幸之助の足跡と考え方を紹介した。

1962年2月23日号の『TIME』は、表紙と5ページにわたる記事で、松下幸之助の経歴や考え方と、松下電器の成長の歴史を詳しく紹介。この記事のおよそ2年前、幸之助はタイム社の広告担当者と面会し、同社が制作した企業PRビデオに高い関心を示したという。この世界的な雑誌に紹介されることになったいきさつを、幸之助はユーモアを交えつつ、次のように語っている。

『TIME』に私のカバーが出たでしょう。あれは広告やないわけです。あれは向こうが日本を紹介するために、だれか一人載せないといかん、というので検討した結果、私を載せることになって、載せてくれたんです。ところが、あれは全世界に行ってますから、その広告宣伝価値というものは百万ドルやというんですな、人によって違うんですれけれども。これはまあ私のほうの儲けですわ。(笑)

商売の一つの見方、行き方というものは、思わぬところに効果があるもんやと思うんです。むこうの熱心さにこちらが打たれて、もういっぺんうちの幹部を集めてPR映画を見せたことを、むこうは熱心な人やと思うたわけですな。そういうところから、たまたま日本を紹介せねばならんという記事をつくるときに、私を選定した。これで百万ドルの価値があるものができた。物事というのは、トントン拍子にやっていけるわけです。

「私の経営観、販売観」 1962年5月10日、久保田鉄工株式会社 販売研修会にて

さらに幸之助は企業広告の意義について、次のように述べている。

PRをするにしても、やはり半分は、何がためにこういうものが必要であるか、また今、世の中はどういうように動きつつあるか、そのためにあなたは何をしなければならんか、自分は何をしなければならんか、というようなところに焦点を当ててやっていくということが、非常に重要なことやないかと思うんです。

松下は今、何をやろうとしつつあるか、こういう企業のPRですな。こういうものをお買いになったらよろしいという商品そのものの広告も、やらんことには商売にならんから、やらなければなりませんが、そのうちの20パーセントは商品を売るということからあえて離れたPRというものがあってもいいと思うんです。

一つの経営体が持っている販売のやり方に、時代性というもの、また推進力というものがあったならば、その会社が単に、会社でつくったものを売るという役に立つだけやなく、もっと大きな効果を関係者に与えるということになるだろうし、そのことがひいては、その会社全体にいろんな作用をしてきて、だんだん大きな回転になっていくということになるんやないかと思うんですね。

「私の経営観、販売観」 1962年5月10日、久保田鉄工株式会社 販売研修会にて

『TIME』の記事は、その後、要約版が13カ国語に翻訳され、当時1400万部の部数を誇った『リーダーズダイジェスト』誌に転載された。こうして世界に松下幸之助と松下電器についての情報が発信されていったのだ。

20160222_today_03.jpg

タイム誌40周年の祝賀パーティーは、1963年5月6日、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで開催された。写真(左)は、その様子を伝えるアメリカの新聞記事。パーティーには幸之助とむめの夫人も出席。晩餐会、来賓スピーチ、舞踏会が夜を徹して行われた。

東京オリンピックを目前に控えた1964年9月、今度は発行部数800万部を超える写真雑誌『LIFE』が日本を特集し、松下幸之助と当社を8ページにわたって紹介した。

「Meet Mr. Matsushita」と題した記事は、幸之助を、
・Top Industrialist(最高の産業人)、Biggest Money-maker(最高所得者)、Philosopher(思想家)、Magazine Publisher(雑誌発行者)、Best-seller Author(ベストセラー作家)―の5つの顔を持つ人物
・ヘンリー・フォードとホレイショ・アルジャー・ジュニア(アメリカの牧師・作家)の2人を1人で兼ね備えたパイオニア - と紹介した。

大きな影響力を持つ海外メディアから好意的かつ大々的に取り上げられたことによって、会社の知名度は飛躍的に高まり、松下幸之助の世界的な評価も高まった。こうしたPR活動は、当社がグローバルで事業を拡大していく上で、大きな推進力となった。

20160222_today_04.jpg

1964年6月、大阪の松下電器本社でライフ誌の取材に対応する松下幸之助。

発表年月
発表年月